『アウトライン・プロセッシングLIFE』について(5) 合理的でない実用書

『アウトライン・プロセッシングLIFE』についての話、そのご。

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倉下忠憲さんのメルマガ「Weekly R-style Magazine」(以下WRM)の404号(先週号ですね)で、『アウトライン・プロセッシングLIFE』を特集的に取り上げていただきました。

前週に予告されていたものの、開いてみたら半分以上が(というか2/3くらいが)その話だったので驚きました(えへ☆)。

で、その中で倉下さんからいくつかの「問い」が提出されていました。直接的な「問い」もあるし、読んでいてぼく自身が「問い」だと感じたものもあります。

なので、そのうちのいくつかに答えてみようかと思います(「自分で説明を試みる」というのが、『アウトライン・プロセッシングLIFE』における個人的裏テーマです)。

まずはWRM404号から引用。

本書は実用書であって実用書ではなく、エッセイ的でありながらエッセイでなく、論説的内容を含みながら論説文ではなく、ある種の物語でありつつも物語ではありません。私が書店の店員さんで、この本の置き場所を真剣に考え始めたら、きっと困っていたでしょう。どれでもあるし、どれでもないのです。

一体全体、この本はどのようにして誕生したのでしょうか。実に気になります。

昔、書店で働いてたことがあるので、こんな本があったら困るだろうなと自分でも思います。倉下さんが「まだしも実用書っぽかった」と言っている『アウトライナー実践入門』でさえ、迷うと思う。

昔から「合理的でない実用書」が好きです。

「合理的でない実用書」については、Word Pieceに何度か書いたことがあります。

宝は非実用情報の中にある

「セクシーなマニュアル」と目的合理性

とっても古い記事なので(特に前者は)、今だったら書かないようなことを書いていますが、そこは(比較的)若かったということで。

「必要な情報に一直線にたどりつくようにはできていないけれど、〈読ませる〉ことでいつの間にか知識や情報が自分の中に浸透しているような本」。それが、個人的に(勝手に)思う「目的合理的でない実用書」です。

木村泉さんの『ワープロ作文技術』もそうだし、今泉浩晃さんの『創造性を高めるメモ学入門』もそうだし、野口悠紀雄さんの『「超」整理法』もそうだし、奥出直人さんの『物書きがコンピュータに出会うとき』もそう(これは実用書とは言えないかもしれないけど)。

他にもたくさんあります。そういう本にあこがれる。

目的合理的でないものを読んでもらうためには、つまり、必要な情報に最短距離でジャンプするのではなく、最初から順番に読んでもらうためには、リニアに構成されている必要がある。

アウトライン的に言えば、「知識の(体系の)アウトライン」ではなく、「語りのアウトライン」になっていること。立体的な構造ではなく、スライドが遷移していくような形です。

『アウトライン・プロセッシング入門』のときも同じようなことを考えていた気がするけど、それをより極端にやってみたのが、個人的なアウトラインが育っていくプロセスを順番に(リニアに)紐解くという形です。

もちろん、個人の生のアウトラインは一直線に育っていったりはせず、行きつ戻りつしながら紆余曲折を経て育っていくのですが、まあそこまで再現すると訳が分からなくなるので、大きな変化、進展があったポイントを可能な限り再現しつつ、ひとつの体験として読めるように。

でもやっかいなことに、「知識」は「語り」の形をしていない。だから、変換する必要がある。アウトラインの作り方としては、プレゼンのスピーカーズノートを先に作って、後からスライドを作ることにちょっと似ている、かもしれない。

そして、まったく無関係に書かれたブログ記事を、相互につながりがあるかのように配列した『Piece shake Love』での経験が生きた気もしています。

で、その結果として本書は「’必要な情報に一直線にたどりつくようにはできていないけれど、〈読ませる〉ことでいつの間にか知識や情報が自分の中に浸透しているような本」になっただろうか。

その辺はまあ、「全力を尽くしました( ˘_˘ )」としか言いようがないです。うん。