資源でも装備品でもない

19時前に、DAYSのアウトラインに書き出したDOがすべて完了。

とっても気持ちがいい。

体調さえ万全ならば、自分にはこれくらいのポテンシャルがある。ついそんなふうに思ってしまうのは、残念ながら体調が毎日万全とは限らないからだ。

というか、一昨年に自立神経系の不調を起こして以来、むしろ万全でない日の方が多い。

寝込んで動けないというわけではないけれど、頭痛とかひどい肩こりとかめまいとか動悸とか不眠とか。

そんな、自分の本来のポテンシャルが何割か削られた状態で、やるべきこともやりたいこともやらなければならない。

体調不良自慢が目的ではない。問題は「自分の本来のポテンシャルが何割か削られた状態で」という部分。

まさに感覚としてはそんなふうに感じるけれど、実際には「そんな日の方が多い」と自覚しているのだから、その「本来のポテンシャル」はすでに「本来のポテンシャル」とは言えない。

なのにその「本来のポテンシャル」を前提に物事を考え、自らに当然のように要求すること自体が、自分のポテンシャルと表現されるような何かを削っているのではないか。

身体も精神も、スペック表に記載できる資源や装備品ではない。手元にあるそれは、あくまでも「今のところ偶然与えられているもの」であり、当然の前提などではない。

「やりたいこと」も「やるべきこと」もたくさんあるからこそ、話はそこから始まらなければならない。