(a sense of) 全盛期

ある後輩からの質問:「自分の全盛期っていつだったと思いますか?」

なぜすでに全盛期を過ぎた前提なんだろうとは思うが(笑)。

じゃあ、この先に全盛期がやってくるのだろうかと考えると、あまり想像がつかない。「常に今が全盛期だぜ!」と強弁する気にもならない。

自分の全盛期というのはこれまでにあったのだろうか。自分自身について今が全盛期だという感覚を抱いたことはまだない、気がする。

「○○くんの全盛期はいつだったの?」と後輩に聞いてみる。

「そうですねえ、社会人になって3年目くらいですかね」とすぐに答えが返ってくる。

そういうものか。

あるスポーツ選手をファンとしてずっと眺めていると、どこかのポイントで「今思えばあれが全盛期だったなあ」という思いを抱くタイミングがやってくる。全盛期について考える上では、この「今思えば」感が欠かせない。つまり全盛期とは、過去を振り返って思うものなのだ。

ぼくはログを取らないことで有名だ。場合によってはライフハックジャンルに分類されるような本を書いておきながら。

単純に面倒というか、ログを撮り続けたいという欲求がない。振り返って反省するというようなこともない。そのことと「全盛期感」がないことについて、何か関係があるのだろうか。

ひとつ「全盛期感」があるものを思いついた。

Word Pieceは2010年〜2013年ごろがピークだったなあと明白に思う。更新頻度とかではなく、内容の密度という点で。ときどき自分で読み返して寒気がすることがある。

じゃあ、その全盛期を把握したことで何かが変わるのかというと、そんなことはない。

ものすごく月並みなことを言うと、現在をベストであろうとしていない人が全盛期について考えてもあまり意味はないんじゃないだろうか。

実に単純な物言いのように思えるけど、ベストであろうとストラグルする状況と、実際にできることのバランスの中に見えてくるものとしての全盛期感には、意味があると思う。

そう考えると、全盛期というのは「迷わずベストであろうとすることができた時期」と定義すればいいのではないか(仮説)。

後輩「セックスの全盛期とかだったらわかるんじゃないですかw」

そうだ、男性社会における全盛期感は、だいたいにおいて仕事とセックスについて抱かれる(仮説その2)。

それはもちろん、自慢話か武勇伝として立ち現れる(定説)。

後輩「絶頂期ってことですもんねw」

(そのうまいこと言うセンスは全盛期をすぎてる)