お前にはできやせん

長い間、自分にとって新しいことだったりハードルが高いことに挑戦したりしようとするときに、頭の中で聞こえる声があった。

「お前にはできやせん」とその声は言う。父の声だ。それは子どもの頃から何かしようとするたびに父からかけられた言葉だった。

「お前にはできやせん」。

それはおそらく父なりの優しさだった。あるいはよりオブラートに包まない言い方をすれば、父自身の不安の発露だったのだと思う。父は本質的に優しく、気が小さい人だった。

実際に父がその言葉をぼくに向かって発していたのは、もうずっと昔のことだ。大人になってからのぼくに(少なくとも大学を卒業してからのぼくに)父がその言葉をかけたことはない。

それでも、何か新しいことや難しいことをしようとするたびに耳元でその声が聞こえる。そして結果は(ほぼ)その通りになる。

お前にはできやせん。

もちろん、がんばって何かを達成したことはある。修羅場(当社比)を切り抜けたことだってある。でもそれらは必要に迫られた仕事や役割だった。そうではなく、自分が本当に望んで、自分の意思で何かをやろうとしたとき、その声が耳元で聞こえる。そして結果はその通りになる。

『アウトライン・プロセッシング入門』を書いている間も、その声はずっと耳元でささやき続けた。そんな歳になっても、ぼくはその予言が間違っていることを一度も証明できていなかった。

予言に勝たなければならなかった。

もちろん、それはもっとずっと前に、若い頃にやっておくべきことだった。ぼくはたいていのことは後悔しないけれど(正確には後悔することがあっても最終的には気にしないけれど)、このことだけは人生の強く大きな後悔として残っている。

これはもっとずっと若い頃にやっておくべきことだった。

あるとき気がつくと、その声は聞こえなくなっていた。つい最近のことだ。それが予言に勝ったからなのか、父が他界したからなのかはわからない。