裏で立ち回る

「裏で立ち回る」というのはあんまりいい響きの言葉ではないし、実際「裏で立ち回る」タイプの人は好きではない。というか「私は裏で立ち回る人が好きだ」という人は少ないだろう。

にもかかわらず、ぼくは「裏で立ち回っている」と誤解されたことが一度ならずある。もちろんそれは非常に心外だ。

でも考えてみれば、ぼくは人間関係の中で生じる難しい問題やややこしい問題(それは多くの場合、当事者間のすれ違いや感情的対立を意味する)が起こったときに、当事者の真意を知るために一対一で話そうとするところがある。

個人同士が腹を割って話さないと、難しい人間関係の問題を解決する糸口は見つからないと信じているところがある。

何よりもぼく自身が集団が苦手で、個人同士で話したいと無意識に思ってしまうところがある。

で、そういう様子を傍から見れば「裏で立ち回っている」ように見えるというのは、よく考えてみれば充分にあり得る話だ。

いや、もっと考えてみれば、そのようにして個人同士で話す中で問題の解決に向けた何かしらの行動を取るとすれば、それはまさに「裏で立ち回る」ことそのものかもしれないのだ。

特に結論はない、気づきの記述。