たとえば、アウトライナーで「恋愛のアウトライン」をつくるとする。
そこには二人の関係がどんなふうに深まり、どんなふうにステージを踏んで発展していくのかが書かれることになる。
もっと露骨に具体的に言えば、何回目のデートでキスをして、何回目のデートでセックスをして、何年目にプロポーズして、何年目に結婚して、何年目に子どもができて、ということが書かれる。
アウトライナーなら項目を自由にブレイクダウンできるから、「プロポーズする」という項目を分解してどんなふうにプロポーズするか、シチュエーションや場所やタイミングをシミュレーションすることができる。サプライズを細かく手順を踏んで検討することもできるだろう。
同様に最初のセックスだって細かく手順をブレイクダウンして以下略。
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というような「恋愛のアウトライン」の話を聞いて「おお、この恋愛のアウトラインさえ作っておけば私の恋愛は完璧だ」と思う人がいたら、それは相当にヤバい人だ。そんなことは多少なりとも恋愛を、あるいは個人と個人との間の真剣な関係を経験したことがある人であれば、すぐにわかるはずだ。
どうしてこんな話をするかというと、「恋愛のアウトライン」がうまくいくはずがないことは直感的にわかるのに、人生について目標を立て、計画し、その通りに実行できる(もしできない場合は自分が悪い)と考えてしまう人が驚くほど多いからだ。
ぼくは恋愛について語ったりアドバイスしたりするような資格をもった人間ではまったくないけれど、
もしも恋愛(あるいは個人と個人の意思による真剣かつ継続的な関係)がうまくいくとすれば、
それはその相手との関係についてその瞬間に全力を尽くし、
もちろん全力を尽くしても実に頻繁に間違いを犯し、
それに対して誠実に対処しつつうまくいくように全力をつくし、
それでもうまくいかない自分はダメだし悲しかったりつらかったりし、
でもその人との関係は自分にとって何よりも重要だから笑顔でいられるように努力し、
相手も笑顔でいられるように努力し、
でも人間というのは必ずまた同じ間違いを犯し、
なぜ同じことばかりするんだ自分はダメだと思い、
でもその人との関係は何よりも重要だから笑顔でいられるように努力し、
相手も笑顔でいられるように努力し、
でも相手も人間だから同じくらいの頻度で間違いを犯し、
ショックを受けたり悲しかったりつらかったりし、
でもその人との時間は何よりも重要でだから努力し、
それでも現実というものはたとえどちらも間違いを犯さなくてもうまくいかない理由に満ちていて、
それらはときに理不尽あるいは残酷であり、
それでもその人との時間は何よりも重要だという思いで努力しているうちに、
いっしょに過ごした時間と記憶の積み重ねはそう簡単に崩れたりしないものになっていて、
でもこの時間の蓄積はそう簡単に崩れたりはしないと高をくくった瞬間に人というのは致命的な間違いを犯したりもするから、
これは保証されたものではないんだということを決して忘れないようにしているにもかかわらず、
そこまで分かっていてもなお人は忘れ間違いを犯すものだということを知っている同士がコミュニケーションに努力し、
寛容であろうと努力する、ことによるのではないかと思う。
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もし恋愛にアウトライナーが役立つとすれば、自分はどうありたいか、現実はどうなっているか、その両者を踏まえて今日何をするかを考えることでしかあり得ない。
その結果として一見「目標」や「計画」のようなものが書かれるかもしれない。でもその性質は冒頭に示した「恋愛のアウトライン」とはまったく異なる。
実は、恋愛に限らず人生のあらゆる目標や計画や実行について、同じことが当てはまる。
目標を立てたり計画したりすることは、自分について考えること、他人について考えること、関係について考えること、それらを踏まえた「今」について考えることだ。
そして「今」は常に変化する。
アウトライン・プロセッシングLIFE: アウトライナーで書く「生活」と「人生」