アウトライナーは「断片」を扱う。文書や思考やその他アウトライナーで操作の対象とするものの断片だ。
この「断片」という言葉は英語のpieceをイメージしている。以前も書いたことがあるけれど、pieceというのは不思議な言葉で、「部分(正確には切り離された部分の1つ)」という意味もあれば「作品」という意味もあるのだ。それ自体が独立した作品(全体)になり得るし、全体を構成する断片にもなり得る。
その両義性を扱うことができるツールがアウトライナーだ。アウトラインの階層関係は瞬時に組み替えることができるし、上位にも下位にも新しいpieceを作ることができる。アウトライナーはその機能をを通じてpieceが「全体と部分に同時になり得る」ことを実にシンプルかつリアルに実感させてくれる。
アウトライナーで扱うアウトラインは、つまり生きたアウトラインは、流動的で儚い。
■
これが単なるアウトライン操作上の問題ではないことは、アウトライナーで文章を書いているときに実感する。
上位のpieceを組み替えることによって、重要な役割を果たしていたはずの下位のpieceが吹っ飛ぶ。これはまあわかりやすい。想像もしやすい。でも逆の現象も同じくらい頻繁に起きる。下位のpieceの小さな変化が上位の(それもはるかに上位の)pieceに影響を与えることがある。たとえば末端の文章をちょっと変えるだけで章や節の構造が変わってしまう(そんなに不思議なことではない。あるパートの末尾を疑問文に変えただけで全体の中での位置づけが変わるかもしれないのだから)。
もちろんそれはアウトライナーを使うまでもなく文章を書くときには起こっていることなのだが、アウトライナーの機能がそれをありありと意識させてくれるのだ。アウトラインの儚さは、生きた文章(≒思考)そのものの儚さだ。そしてひとつひとつのpieceの。
■
それは「文章」だけの問題ですらない。生きた階層構造の中では上位のpieceは下位のpieceに影響を与え、下位のpieceは上位のpieceに影響を与える。たとえ意識しなくても。生きた階層構造は流動的で儚いのだ。そしてその中に位置づけられたpieceも。
「生きた階層構造」とはたとえば何だろう。アウトライナーはいろんなことをあなたやわたしの問題として想像させてくれる。