ランダムノートについてのテーマを持ったランダムノート

旧WordPieceには「ランダムノート」というジャンルの記事があった。

特にそういうカテゴリーを設けていたわけではないけれど、折りに触れて「ランダムノート」と題された記事が書かれたし、そう題されてはいなくても内容がランダムノートであるという記事はもっとたくさん(無数に)ある。

ランダムノートとは、文字通り特に何の記事と決めることなく書かれた、つまりタイトルを付けられない記事のこと。ブログの更新をしなきゃならないけど特にネタがないから(当時は意地でも週1回の更新を守っていた)、アウトラインの中からなんとなく関連したトピックを集めてきて適当につないで放流する、みたいな感じが多かった。最初からランダムノートを書こうと思って書いていたこともあったと思う。

そういうランダム性の中から重要な何かが生まれることが多くあった。

自分のブログのことを「人に読めるフリーライティング」と呼んでいた時期がある。誤解を招いているケースが散見されたので最近はあまり言わないようにしている。「読むに耐えない未完成なものを公開している」という印象を受ける人がいるらしいからだ。

ランダムノートと(プライベートな)フリーライティングの違いは、「人に読める」ことを(していないように見えても)意識していることと、「ランダム」とは言いながらあるフィルターのもとに選択された断片が集められているということだ。

ランダムノートは元はといえばデイブ・ワイナーのScripting Newsの真似だ。

Scripting Newsは今でもその基本がランダムノートだ(ワイナーがそういう言葉を使っているわけではない)。特に脈絡なく複数のトピックが一日という枠の中で連結されている。その中に、タイトルを持った「まとまった」記事が(やはりランダムに)混じる。

Scripting Newsは最古のブログのひとつだ。本来ブログというのはランダムノートだったのだ。

ぼくがブログというものに魅せられた理由のひとつは、好きに文章を書いて公開できるということ以上にそれが「ランダムノートを公開することが許される場所」だったからなのかもしれない。 ― (過去形)

当然のことながら、ランダムノートはSEO的には最悪だ。そして読んだ誰かの役に立ったりもしない。狭い意味では

自分のホームグラウンドはブログというよりはランダムノートなのだとあらためて思う。

『Piece shake Love』はある意味では巨大なランダムノートなのだが、最近「これは小説なのだ」と思い始めた。というか、たぶんもともとそのつもりだったけれど、なかなか認められなかった。