仕事をそんなふうに「わかっていた」ことは一度もない

前職では人前で何かをしゃべる機会というのがけっこうたくさんあって、それがとても苦手だった。

企画のプレゼンとかもそうだし、もっと小さい規模で顧客に向かってデータを説明するとか、社内会議でプロジェクトの進行状況や予算の説明をするみたいなことも苦手だった。

できないことはないけれど、気持ちのいい行為とはとても言えない。居心地が悪い。

昔は人前でしゃべることが苦手だなんて思ったことなかったんだけどな、というのがずっと不思議に思っていたことだ。むしろ得意だと思っていた。小学校とか中学校とかそういうレベルの昔だけど。

夏休みの自由研究の発表をするとか、コンクール用の作文を人前で読み上げるとか。そういうときに人前でしゃべることが苦手だと感じたことは一度もなかった。

いや、もうちょっと後になって、就職の面接会場で自己アピールをするみたいなこともそんなに苦手には感じなかった。そのアピールが有効であったかはともかく。

年をとるプロセスのどこかで、それが苦手になったのだ。

と、長いこと思っていたのだが、ふと気づくとここ数年、数は多くないものの人前でしゃべる機会があって、それもあろうことか「セミナー」と銘打ってしゃべることさえある。

そんなときに「人前でしゃべることが苦手」だと感じたことは一度もない。人前が苦手であることは変わらないのだが、そこでしゃべること自体は苦にならない。

今のぼくが人前でしゃべることと言えば、ほぼアウトライナー/アウトライン・プロセッシングのことだ。アウトライナーのことはよくわかっていて、よくわかっていることをしゃべっているから苦手ではないのだ。

よく考えてみれば、すごく簡単なことだ。

ということはつまり、「以前の仕事ではよくわかっていないことを人前でしゃべっていた」ということになるのだが、たぶんそうなのだ。

担当者として必要な知識は持っていたはずだけど、ここでいう「わかっている」というのはそういうことではない。

アウトライナーについてなら、何を聞かれても答える自信がある。

すごいことを言ってるけど(ぞわぞわする)、もちろんそれは「アウトライナーについてならオレは何でも知っている」という意味ではない。

わかっていることはわかっているとわかっているし、わかっていないことはわかっていないとわかっているし、わかっていると思っていたことがぜんぜんわかっていないかもしれないことがわかっている自信があるということだ(←高度な日本語)。だからこそ、わかっていることはもちろん、わかっていないことについてもわかっていないことを前提にわかっていないけれどこうではないかという話ができる。わかっていてもわかっていなくても居心地悪くはない。

会社員としての仕事を、そんなふうに「わかっていた」ことは一度もない。

大変に恥ずかしいことだと思うが、じゃあ堂々と自信を持ってプレゼンをしていた彼や彼女は、その仕事を「わかっていた」のかと考えると、それはよくわからない。

これは「仕事を覚えるとはどういうことか」についてある人の話を聞いていて、気づいたことだ。