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アウトライナーとアウトラインプロセッシング/書くことと考えること/その結果

『佐々木さん、自分の時間がないんです』の個人的ポイント(あるいはアウトライナーフリーク的確信)

佐々木正悟さんとの対談『佐々木さん、自分の時間がないんです』について、佐々木さんが以下の記事を書かれています。

cyblog.jp

詳細は記事を読んでいただければと思うのですが、面白いと思ったのは、佐々木が記事の中で「本書の1つのポイント」として引用している部分です。

何が面白いって、ぼくはその引用を見て「えっ、ここがポイントなんだ!?」と思ったのです。共著者なのに本についての認識が違う(笑)。

と、一瞬思うわけですが、当たり前のような気もします。むしろ認識が違うことこそが、共著の醍醐味なのかもしれません。

じゃあ、自分自身は本書のどこをポイントだと思ってるのだろう。

いや、そんなことを言ったらほとんど全編ポイントだらけです。手前味噌ですがそのぐらいの密度はあります。

でも強いてあげるなら、個人的には以下のやり取りを挙げたいと思います。

佐々木 抽象的な話をすると、行動に対して安易に名前をつけないことです。

Tak. 行動に名前をつけるというと?

佐々木 みなさん好きなこととか夢とかに名前をつけるじゃないですか。

Tak.「音楽をやる」とか「漫画を描く」とか?

佐々木 それもあるし、たとえば「洗濯物干し」とかもそうです。自分に割り当てられたことが「小さいこと」に思えるのは、名前がついているからです。名前が評価に直結してしまうんです。「洗濯物干し」という名前がついたら、その行為はおそらく「やる価値のない洗濯物干し」でしかなくなってしまう。その瞬間に「小さいこと」になってしまっている。「保育園の送り迎え」も同じです。名前が評価に結びついてしまっているんです。

 

そして続く以下の部分。

佐々木 依頼された内容について、その体験に最大限を注ごうと決めると、行為の意味が大きく変わってきます。なんというか、「エネルギーを出し惜しまない」ということなんですよ。出し惜しまないということは、そこから最高の体験を得ようとすることなんだと思うんです。反対に出し惜しみするということは、「その行為から満足感を得ることに、たいして期待しない」という意味になるはずです。さっきの保育園の送り迎えの話でも、必要なのはそこから最高の体験を得ようとすることです。ぼくには娘がいるからよくわかる。ぼくは娘の依頼を後回しにして仕事をしたということは一回もないです。時間無制限でやっています。

佐々木さんの話や記事の中で、同じような話を目にしたことはこれまでにもあった気がします(特に近年は)。

ただ、個人的にはいまひとつピンと来てはいなかった。

本書でこの部分がポイントと感じたのは、「自分の時間はゼロで差し支えないんですよ」という極めてインパクトの強い言葉から始まる会話の流れに、それが出てきたからです。大げさにいえば、それは救いのようなものでした。

正直に言うと、この対談を構成するのはすごく大変で、何度も諦めようと思ったのです。そうしなかったのは、その両者がひとつのアウトラインの中に位置づけられたからです。

自分としては今でも100パーセント佐々木さんの言うことを飲み込めたわけではない気がする。今後も100パーセント飲み込み切ることはないかもしれない。

仮にそうだとしても、自分自身のシェイクを通じてひとつのアウトラインに位置づけられたことで、佐々木さんの言っていることは(合う合わないはあるにしても)少なくともホンモノだと確信できたのです。