こちらのツイートから始まるスレッドがとても示唆的だった。
私がアウトライナーとイマイチ仲良くなれなかったのは、アウトライナーがリニア的な一本道に情報をまとめ上げていくツールだって印象があったせいで、マインドマップみたいな情報が枝分かれして拡散していくものを扱うのは無理というイメージを持ってたせいと思う。
— 椎堂かおる (@zerozero_daily) 2021年3月7日
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アウトライナーは確かに「リニアな一本道に情報をまとめあげていくツール」なのだが、だからといってリニアな枠を頭にはめる必要はない。
アウトラインを作ろうと意識するあまり、最初からリニアに考えようとしてしまうと頭が自由に働かなくなる。
自由に考えて、その結果をリニアな一本道にまとめあげてくのがアウトライナーだ。
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思考がどれだけノンリニアだとしても、なんらかのアウトプットをする段階でいずれにしてもリニアに変換しなければならなくなる。
文章を書くときもプレゼンするときも、エレベーターの中でたまたま顔を合わせたCEOに自分の仕事を1分で説明する(お約束)ときも、複雑でノンリニアな思考のすべてを同時に表現することはできないから、リニアに並べる必要がある。
結論を先に言えとか順を追って説明しろとか言われるのは要するに「適切な順でリニアに並べろ」という意味だ。
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内容がノンリニアであっても、思考は時間に乗ってリニアに流れてくる。ぼくたちはリニアな時間の中に生きているからだ。
瞬時に複数のことが頭に浮かぶ(ように感じる)ことはあるけれど、
脳みそ電極挿入による瞬時論文作成
でもないかぎり、それを同時に記録する方法はない*1。
メモするにしても録音するにしても、記録はリニアにしかできない。だから便宜的に「思考はリニアな時間の中を流れてくる」と考えることにしている。
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ノンリニアとリニアが出会うときに生じる摩擦と発火が個人的には何よりも重要だ。
そこで削らざるを得ないもの、補わざるを得ないもの、変形せざるを得ないものがある。そのせめぎ合いから生まれるものがある。
ノンリニアとリニアの摩擦と発火はアウトライナーを使うまでもなく起こることなのだが、アウトライナーはそのプロセスを(少しだけ)楽に通過させてくれる。
摩擦はしんどいから。
そして摩擦と発火から生まれた何かをリニアな表現の中に位置づけようと操作する中で、時に「自分はこんなことを考えていたのか!」と思うことがある。
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「リニアな一本道に情報をまとめあげていくツール」だと思っているとアウトライナーを力を活かし切れない。しかしアウトライナーの力はまさにその「リニアな一本道性」から生まれている。その自己矛盾こそがツールとしてのアウトライナーの奥行きだと思う。
— Tak. (@takwordpiece) 2021年3月8日
*1:脳みそ電極挿入による瞬時論文作成:黒崎政男『哲学者クロサキのMS-DOSは思考の道具だ』に出てきたネタ。