結果を出さなきゃ意味がない
ドトールであのときと同じ親子に会った。
駅のホームで「どんなときも結果を出さなきゃ意味がないんだからな」と言っていたお父さんと、口をとがらせて「わかってるよ」と答えていた男の子。
あのときは中学生くらいかなと思ったけれど、今見ると小学校高学年くらいかもしれない。
今日はふたりで「かぼちゃのタルト」を食べながら、やはり同じような会話をしていた。
結果的に結果がでない
結果が出ないままやりつづけなければならないタイプのものごとがあって、というか重要なことほどそういう傾向があって、結果が出ないことをどんなときも「意味がない」判定していたら結果的に結果は出ないのではないか(←高度な日本語)。
結果がない
結果などというものがそもそも存在しないことの方が多いし。
結果は一瞬にして出るんだ
『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる五反田くんの有名な言葉。
僕は昔は人間というものは一年一年順番に年をとっていくんだと思ってた。
でもそうじゃない。人間は一瞬にして年をとるんだ。
年をとることに限らず、「結果」もそういうものかもしれないとちょっと思う。
シェイクの終わり
文章を書きながらアウトラインをシェイクしているときにしばしば経験すること。
シェイクは徐々に終わりに近づくのではなく、突然終わる。いつ終わるのかまったく目処が立たない状況であるパーツを動かしたとき突然「これ以上シェイクしなくていい」とわかる。
これも個人的な「結果」のイメージのひとつだ。
引き寄せ(的なもの)
「引き寄せの法則」と表現されるような何かが実際に起こるとはたしかにあると思うけど、それが起こることを期待して何かをしてもだめだということも知っている。そういうことは結果的にしか起こらない。
結果を出そうなどと考えず(忘れて)何かをやっているうちに、結果的に結果が出る(←高度な日本語)。そのとき何かを引き寄せたような感覚を抱くかもしれない。
出た結果
ドトールで「かぼちゃのタルト」を食べながら息子さんに「どんなときも結果を出さなきゃ意味がない」と説くお父さんの思いという結果を出させたものについて考える。
かぼちゃのタルト
それはそれとしてドトールのケーキの中で「かぼちゃのタルト」がいちばん好き。