アウトライナーフリーク的実用性、あるいはエモさと実用

ぼくにとってのアウトライン・プロセッシングは、個人的に抱えている問題と表裏一体なところがある。

その問題というのはたとえば

形にしてみるまで自分自身が考えていることがわからないことだったり、

いったん逆方向に進んでそれが逆だということを確認しないと正しい方向に進めないことだったり、

その結果として思っていることと反対のことを表現してしまうことだったり、

前後の関係を把握することが苦手だったり、

目の前のディテールに潜り込んで全体が見えなくなる面と、目の前のことにフォーカスできない面が共存していることだったり、

頭の中ははるか先に行っているのに行動が付いてこずに心身が分離したような感覚に襲われることだったり、

以上の要因から期限を守ることや他人との共同作業(つまり仕事)に支障を来すことだったり、

にもかかわらず、仕事を評価されることがあるとすれば上記の性質が偶然プラスに働いた場合であるということに混乱したり。

そうした問題にはもしかしたら名前を付けられるのかもしれないということを十数年前に知ったわけだけど、きちんと調べるということはしていない。

ぼくにとってのアウトライン・プロセッシングは、そうした自分の性質をカバーするためのものという側面がある。

いずれにしてもそれは極めてプライベートなものごととつながっていて、単なる技術論として説明することには無理があるし、説明しようとすれば技術論ではない部分が必ず乗っかってくることになる。

技術論ではない部分とは、ある種の「エモさ」と表現してもいいものだと思う。あまり良い意味で使われないことが多い言葉だけれど、そう表現するのは妥当な気がする。

技術論として見ればそれは余計な記述に見えるかもしれないけれど、個人的には実用的であるために不可欠な要素だ。