遅れてやってくる痛み

年齢を重ねた筋肉痛の話ではなく。

学生の頃、何度も深夜に入り浸っていた実家最寄駅近くのミスタードーナツ。当時は午前2時までの営業だったと思う(入り浸る場所がミスタードーナツというあたりがいかにも自分らしい)。

レポートを書いたり試験勉強したようなこともあるけれど、二階の窓際の席で薄いコーヒーを無限におかわりしながら本を読んだり単に考えごとをしていたことの方が多い。

そこで考えていたことの多くを今でも覚えている。深夜と自由と孤独が重なったときに考えたことを人は忘れない。そこで考えたいくつかのことが、今の人生に直接/間接に影響していたりもする。個人的に、けっこう重要な記憶と結びついた場所なのだ。

数年前にそのミスタードーナツが閉店して某迅速なステーキのお店に変わったとき、そうかとは思ったし残念でもあったけれど、まあ時代だし仕方ないよなというのが感想だった。

その痛みをはっきりと感じたのは、その迅速なステーキのお店がすぐに閉店してしまったときだった。痛みというよりもっと総合的なもので、その何割かには怒りに似たものが含まれるけれど、別に企業活動として何か間違ったことが行われたわけではない(と思う)のでそこに謂れはない。

この種の痛みは遅れてやってくることが多い。あるいは感知するのに一段階追加のステップが必要なことが多い。

空き店舗になっていたその場所には、少し前にミスタードーナツが再び開店した(だからこの話を書く気持ちになった)。昨日、公園を散歩した帰りに薄いコーヒーを飲んでチョコファッションを食べた。

ミスタードーナツの薄いコーヒーにベストマッチングなのはチョコファッションかエンゼルショコラだ(個人の感想です)。