T町とS町とM町

実家のあるT町に足を踏み入れることが年々きつくなってきている。

何がどうきついのかということを言葉で説明すること自体がすごくきついのだが、簡単に言ってしまえば町の変化と自分の変化(あるいは不変化)が合わさった何かということになると思う。

T町には生まれてから6歳までの間、そして5年飛んで11歳から26歳までの間住んでいた(結婚するまで実家住まいだった)。幼少期と思春期を経て成人して結婚するまでを過ごした、ということになる。

高度成長期末期からバブル崩壊直後までとも言える。

6歳から11歳までの5年間は、父の仕事の都合でS町に住んでいた。

その後S町を訪れたことは一度もない。いつかまた行きたいと思いながら、時間があった学生時代にもお金があった前職時代にも行かなかった。他の時期には時間もお金もなかったのでもっと行かなかった。

行かなかったけれど、近年になってGoogleストリートビューやバスの前面展望動画で当時住んでいた家や通っていた学校の周辺をくまなく疑似散歩して、今どんな様子になっているかを把握している。路面電車や地下鉄の路線図だってほとんど暗記した。

S町には今でも強烈な懐かしさと憧憬みたいなものを感じる。いわゆる「故郷」ではないけれど、自分が今あるような自分になったことにはS町の特性が深く関わっているような気がする。

でも、もしS町に25歳になるまで住んでいたら(つまり思春期や成人初期を過ごしていたら)、今頃はやっぱりキツくなってるんだろうとも思う。

今住んでいるM町は、いつの間にかいちばん長く住んだ町になった。

小さな駅の周囲に必要なものがコンパクトにまとまっている。駅ビルなんかない。昭和の東京周辺の「電鉄駅」の風情を残している。

M町のことは一度も嫌いになったことがない。いつかここを離れることを想像すると怖くなるくらい、嫌いになったことがない。

今住んでいる家の窓からは、実家のあるT町のビルが見える。直線距離はそんなに離れていないのだ。

なのに、実際に実家に行くとなると驚くほど時間がかかる。公共交通機関だと直行するルートがないから移動距離がすごく長くなるのだ。

遠くはないけど時間がかかる。何かを象徴している。

結婚した直後に3ヶ月だけ住んだH町のことを忘れていた。

H町には、ほぼつらい思い出しかない。

雨の日曜日にひとりで婚姻届けを区役所に出しに行った町であり、会社帰りの閉店間際に駆け込んで本を買った(そして本屋の匂いを嗅ぐことでかろうじて人間性を回復した)書店が翌朝の出勤時には火事で焼けてしまっていた町。

H町にもあれから一度も行っていない。