個人の総合的な感じ

旧Word Pieceの初期の記事を見ると、数行、極端な場合は1行しかない記事があったりする。今だったらツイートにするような記事。当時は別にめずらしいことではなかったと思う。今のブログの常識からすればおそらくあまりやるべきではないことかもしれないけれど、個人的にはそういう記事が好きだった。

この種の記事のメリットとして、通常なら「ブログに書くほどでもない」規模のネタを書ける、というのがある。「ちゃんとした記事」に限定したならば書かれないことが書かれるのだ。実際、旧Word Pieceでは、そんな「ブログに書くほどでもない」断片の中に、けっこう大事なことが書かれていたという感触がある。

あと、個人的に「ランダムノート」と呼んでいたタイプの記事。数行の断片を複数組み合わせたようなやつ。これは今でもときどきやる。場合によっては関係ない複数の断片の組み合わせになるのだが(ランダムに書かれた断片をアウトライナーの中でくりくりと動かした結果なので)、そうしてひとつの記事の体裁を取ることで、組み合わせることによってもともと関係なかった断片が実は関係あるかのように思えてきたりもする。

今ならツイートにするような短い記事と、ランダムノートと、まとまった「記事」が混ざっている、そういう個人の総合的な感じが自分の思うブログの面白さだった。昨今のもろもろでTwitterとの付き合い方をどうするかと考えたとき、まず思ったのは「また昔みたいなブログを書けばいいじゃん」ということだった。

しかし同じようなことを何度も書いてますね。

そういえばTwitterの(元々の)良さも「個人の総合的な感じ」として表現できるな。