「必要に応じて人を押しのけ、優位なポジションを確保できる自分」

人に道を譲るクセがある。

狭い歩道で前から人が来ればたいてい道をあけるし、ドアは後ろの人のために開けて待っているし、エレベーターではほとんど必ず最後に人が降りるまでドアの脇で「開」ボタンを押している。

とりわけ良い人だったり、洗練されたマナーを身につけているというわけではぜんぜんなく、子どもの頃からそういうクセがついているだけ。

アメリカで育ったことによって、何かしら動機付けられた面はあるかもしれない。

それはそれとして、日本では道を譲られたりドアを開けて待ってもらっていることに、気づきさえしない人がけっこういることは驚くばかりだ(年配の、特に男性は気づかない確率が高いように思える。もちろん、そうでない人もたくさんいる)。

首都圏の朝のラッシュアワーの電車で、そんな姿勢は通用しない。

降りる人を先に降ろし、乗る人を先に乗せていたら目の前でドアが閉まってしまって、会社に遅刻したことがあった。

忘れもしない、東急東横線の横浜駅。大学を卒業して就職した直後の4月だった。

その日からぼくは新しい自分になった。必要に応じて人を押しのけ、優位なポジションを確保できる自分だ。

やろうと思えば、そのくらいのことは人並みにできる、とぼくは思った。人はそれを「成長」と呼ぶだろう。

最近、ひさしぶりにラッシュアワーの電車に乗って、ラッシュ時スキルがすっかりさび付いていることに気づいて(そして少しほっとして)思い出した話。