落ちることと落とすこと

目の前に好ましいことや、楽しそうなことや、役に立ちそうなことや、やった方が良さそうなことや、やらなきゃならないことや、責任を負っていることがある。

それらは、わたしたちの関与を要求している。だから関与する。つまり、自分の時間の中にそれらを組み入れる。

でも、ものの理屈として何かを入れれば何かが落ちる。そのことに自覚的になるかならないかで、人生はけっこう違った様相を帯びる、と思う。

一日が終わって「Aができなかった」「Bもできなかった」と思うのと、「CとDを自分の時間に組み入れることにしたのでAとBを落とした」と思うのとでは大違いだ。

そのことが重要なのは、効率とか生産性とかそういう理由だけじゃない。たぶんそれは広い意味での幸福に関わることなのだ。

もちろん、どれだけ自覚的になったとしても、AとBを落とすことの痛みがなくなるわけじゃない。