怒っていることについてのノート

めずらしく怒りにまかせて攻撃的な(当社比)ツイートをするということをした。あまりいいことではなかったと思っているけど、責任を持つという意味で消さないでおく。

興味があるのは、なぜそんなに腹が立ったのかということだ(気がつくと手の指から血が出ていたくらい)。それをこの一週間考えていた。どうしてあんなに腹が立ったんだろう。

どうもぼくは「おだやかな人」だと思われやすいらしい。あまりそうではないことは、ぼくのことをある程度知っている人なら知っている(←日本語)。一応弁解しておくと、暴力を振るったり怒鳴ったりということはしないはずだ。もしそれをしたら、心から軽蔑してもらってかまわない。

この間Tomo.さんと話していて印象に残った言葉。

「私は(ある種のことに対して)自分で思っていたよりずっと怒ってたみたい」

その意味は何となくわかるし、その怒りを自覚することはけっこう重要なことなんじゃないかと思う。そして気づいたのは、ぼく自身も「(ある種のことに対して)自分で思っていたよりずっと怒っている」ということだ。

こういう一瞬の深い理解は、おそらく他の人との会話からは得られない。それはこの人と長年いっしょにいる大きな理由のひとつ。

「自分は何に対して怒っているのか?」という問いを正しく持つことは、(広い意味での)仕事とか、(広い意味での)勉強とか、(広い意味での)生活とか、(広い意味での)人生にとって、とても大きな意味がある気がする。

そんなことを考えているうちに、腹が立っていること自体にはほとんど意味がなくなっている。