『凡人の星になる: 月間10万PVの雑記ブロガーが「凡人」を武器にするまでの七転八倒』(やまま)

やままさんの新刊(処女作!)『凡人の星になる: 月間10万PVの雑記ブロガーが「凡人」を武器にするまでの七転八倒』を読んだ。

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ブログというものは、そもそも普通の人=凡人が(も)書くものだとずっと思ってきたから、本書に書かれたやままさんの感覚を個人的にはまったく共有していない。それでも面白くて、最初から最後まで一気に読んでしまった。

この本のことを、なんと説明したらいいのだろう。

自分のことを「凡人」と定義するブロガーが、ブロガーとしての武器を見つけるまでのドキュメント(みたいなもの)だろうか。

本書を読んだ誰もが抱くであろう問い。

やままさんは果たして「凡人」なのか? ブログを書いて本まで出したということはもちろんだけど、その問いが浮かぶ要素はたくさんある。

ぼくがやままさんにはじめて会ったのは去年の夏のScrapboxイベントのときだったと思うのだが、その時点でやままさんはけっこう有名なブロガーさんだとぼくは認識していた。それで「お、名刺もらっちゃった」とか思っていた。凡人感がない。

文章がうまい。とてもうまい。「家庭料理がいちばんおいしい」というのと同じような意味合いで凡人の書く文章がいちばん面白いということはあるのだが、それだけじゃなく、やままさんは確かに文章がうまい。ブログ「言いたいことやまやまです」を読んでるときにも感じるけれど、本書を読んでいてももちろん感じる。

本書の前半は(ブログより)ちょっとおとなしめな文章なのかなと思ったのだが、後半に行くほど増していく迫力(非凡)に圧倒される。そして情報を伝達することだけを目的としない文章において、迫力は大事だ。「迫力」の個人的な基準として「文章が伝染する」というのがあるのだが、後半を読みながら取っていたメモがやまま文体になっていることに気づいて驚いた。

倉下さんも書評で書いていた通り、この本に書いてあることは、程度の差こそあれ普通の「よくあること」だ。多くのブロガーが、同じような紆余曲折、試行錯誤、あるいは迷走を経て自分のカタチを見つけていく。

この本の普通でないところは、そのプロセス全てが開示されていることだ。普通の人が黒歴史として闇に葬ってしまうこと、あるいは「黒歴史」だとことさらに強調して(変化球ネタとして)開示することが、メインコンテンツなのだ。黒歴史のコンテンツ化(非凡)。

と、やままさんの非凡性ばかり書いてきたけど、もちろんやままさんは凡人だ。

なぜなら本人がそう言っているから。

他人を凡人であると定義する資格がある人間なんかいないのだから、それができるのは本人だけだ。やままさんは七転八倒と迷走を経て、自分が凡人であり、それを宣言する資格があるのは自分だけであることに気づき、それを武器にした。

武器とは、他人から見れば「価値」だ。

本書を読んで勇気づけられ、「自分にもできる」と思う人が、きっとたくさんいるだろう。それはまさにこの本のタイトルに示された目的であり、もちろん素晴らしいことだ。でも同時にその人たちの何人かは、自身が「やままさんのように」できなかったとき(簡単にはできない)、自分こそが凡人だと感じるかもしれない。そしてもちろんそれは正しい。

やままさんもあなたもわたしも凡人だ。

凡人による本書が教えてくれるのは、(自分の)価値は自分が決めるものであり、同時に見出されるものであり、その相互作用だということだ。この本はそのプロセスの赤裸々な中間報告なのだと思う。

なぜ「中間報告」かといえば、そのプロセスはきっとこれからも続くからだ。