『書くためのアウトライン・プロセッシング』で 書きたいと思っていたことのひとつが 「シェイクはどうやって終わるのか」ということです。
「シェイク」はTak.のアウトライナー本を読んでくださっている方ならおなじみ、自由なアウトライン・プロセッシングのコアになる概念です。
ひと言でいうと、シェイクとはアウトライナーでトップダウン思考(構造から考えること)とボトムアップ思考(内容から考えること)を意図的に繰り返すことです。いったんシェイクのサイクルが回り始めると、アウトラインはどんどん育っていく。
でも、ときどき質問をいただくのです。
シェイクでアウトラインを育てていくことはできる。「シェイクのサイクルが回る」感覚も理解できる。でも、どこまでシェイクを続けたらいいのか分からない。ひたすらアウトラインが育ち続けて収拾がつかなくなる。シェイクはいつまで続くんですか? そしてどうやって終わるんですか?
もちろんすべてのシェイクが終わる必要はない。ライフ(生活と人生)のアウトラインのシェイクは永遠に続きます。シェイクが終わるときはライフが終わるときです。
でも、文章のためのアウトラインではそうは言えない。
シェイクを続けているだけでは文章は永遠に完成しない。拡散して広がるばかりでアウトプットできない。アウトプットするためには「完成」させなければならないからです。
じゃあどうしたらいいのか。
そのあたりの話を、『書くためのアウトライン・プロセッシング』ではじめて「方法」として提示できたと思っています。
正確にいうとシェイクは「終わる」のではなく「収束に転じる」のです。そのとき重要な役割を果たすのが「最上位階層」です*1。
*1:ちなみに、ぼく自身がこの「シェイクの終わり」を言語化できたきっかけは、『書くための名前のない技術 case 2 Marieさん』でのMarieさんへのインタビューでした。