説明の呪縛を取り外すフリーライティング

わかっていないときには理屈で考えようとしない方がいい。

けっこう昔、複数回の失敗を通じてそのことを学んだ気がするのだが、それでも時に理屈で考えようとしすぎてしまう。

あるいは「説明」しようとしてしまう。

説明するために理屈で考えようとしてしまう、のかもしれない。

気分や好き嫌いで物ごとを決めるのはあまり褒められたことではないと父親的な何かにいつの間にかすり込まれてきた。

たぶんそのせいで、好き嫌いや気分に基づいて行動した(あるいは行動への意思を表明した)後に、その理屈を説明しようとする癖がついた。

本来わかっていないことの理屈を説明しようとすることが、いろんなことを悪くする。

父親的な何かのことはもう気にする必要がないのだとしたら、いったい誰に向かって何を説明しているのだろう。

説明しようとする自分はなんだか男性っぽくて嫌にもなる。

説明の呪縛を取り外す方法のひとつがフリーライティングだ。10分か15分、頭から浮かぶ文章(みたいなもの)をただ書く。ちゃんと書こうとしない。一度書いたことを書き直そうともしない。ただ書く。書かれた結果を読む。

フリーライティングには気分が現れる。言葉の選び方とか語尾とかの中に自然に現れるのだ。その奥には理屈で、ロジックで、理性でカバーできない自分の何かが見える。