アウトライン・プロセッシングがセルフコーチングだという話

以下の2つの記事で『アウトライン・プロセッシング入門』と『アウトライン・プロセッシングLIFE』を紹介していただいた。

www.forest-of-freedom.com

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そして「生活のアウトライン(ライフ・アウトライン)はセルフコーチングである」という指摘についてずっと考えていた。

以下の部分。

著者のTak.さんのアウトライナー使い方で非常に興味深かったのは、書籍「7つの習慣」で提示されている「ミッション・ステートメント」を書くのに使っていることです。これは前述のシェイクを経ることでさらに拡張されていて、内容が生活全般に及んでいます。
これは私から見ると完全にセルフコーチングで、価値観や理想の生活環境など、多岐に渡って考え抜かれ、またブラッシュアップし続けている人生の行動指針になっていると感じました。これは例の通りに使えたらコーチングがいらなくなるヤツですね。

そして以下。

アウトライン・プロセッシング入門を読んでいて、アウトラインに書く内容が価値観や行動指針にまで及んでいたので、究極のというか大元のアウトラインは「人生」になるんじゃないかと思っていたら、まさにそのことが書かれていました。
これはコーチングのプロである私にとって、アウトライン・プロセッシング入門よりさらに立場的にマズい内容となる、アウトライナーを使った究極レベルに近いセルフコーチング指南書と言っていいでしょう。

特に『アウトライン・プロセッシングLIFE』は、扱っているテーマからしてまさにセルフコーチングだと思う。ぼくはコーチングを専門的に学んだことはないのでそれ自体について語ることはできないけれど、たぶん。

ずっと考えていたというのは、アウトライナーで文章を書く方法について扱った『書くためのアウトライン・プロセッシング』にも同じようなところがある、ということ。セルフコーチングというよりも「セルフ文章指導」だろうか。

アウトライナーを通じて自分自身と対話し、自分自身に導かれながら書いていく。頭の中のモヤモヤを引きずり出し、その中から書くに値するテーマを見つけ出し、文章としての構造と流れを作り、不要な部分を切り捨てる。

「自分が自分に文章指導しているような」というと妙な感じがするけれど、うまくいくとまさにそういう感覚になる。

そもそもアウトライン・プロセッシングという行為自体にセルフコーチング的なところがあるのだろう(「自己カウンセリング」という表現をされた方もいた)。

だからと言って、専門のコーチやカウンセラーが不要になったりはしない、と思う。アウトライナーがあるからといって大学での論文指導が不要になったりはしないのと同じだ。