レリバント

→ 個別の問題

個人が抱えている問題が他人に本当の意味で「わかる」ことはない。

一般的な意味で「わかる」ことはもちろんある。たとえば子育てや介護が大変であることは「わかる」。離別や死別が辛いことも「わかる」。同じような経験をしていればその範囲で「わかる」。

でも、個別の領域に入っていけば、あるところから先はどれほど想像しても100%「わかる」ことはない。

違和感の表明

人との関わり(たとえば仕事)の中で納得いかないことや違和感があるが、それを表明すれば他の人たちに迷惑がかかると思って飲み込む。そんな経験はきっと多くの人が持っている。

飲み込むことは人のことを考えた態度のように思えるけれど、長期的には状況をより悪くしてしまう可能性がある。

じゃあ違和感は無条件で表明すればいいのかというと、たぶんそんなことはない。

「迷惑がかかる」という言葉が適切ではないとしても、皆が思っていながら口にしなかった違和感を口にすることで、誰かに適当な範囲を超えて精神的・肉体的負担がかかることはある。

そっちの方の当事者になってもやもやした経験も、きっと多くの人が持っている。

深まるはずのもの

「アイデアや発想をシェアすることが力になる」という考え方は基本的に正しいと思うけれど、単純に受け止めすぎない方がいいとも思うようになった。

考えた「結果」をシェアすることは良いことだし力になると思う。でも、それ以前の段階(思いつき、あるいは考えているプロセス)をシェアすると、深まる可能性のあったものが深まずに終わることが多い。そう感じることが増えた。

レリバント

かつてrelevantだったものがそうではなくなることがあるし、ある場面ではrelevantなことが別の場面ではそうではないことがある。ものすごく当たり前のことだけど、多くの人がそのことを忘れている。

個別の問題 →

個別の問題について他人に求められることは想像してもらうことだけだし、他人に対してできることは精いっぱい想像することだけだ。