他人の欲望

時代を生き抜くために「自分の市場価値」的なものを意識せざるを得ないのは事実としても(事実だよね)、その言葉自体を価値あるもののごとく連呼されると、世界の居心地がやや悪くなってくる。

某転職サイトの広告の話。

「自分の市場価値」的なものの必要性を受け止め、したたかに現実的に行動することは大事だけれど、個人としての自分が市場なんかに価値を決められてたまるかとは思っていたい。

その必要性を教えてくれる広告の中は別として、親愛なる個人のみんなには、そんな言葉を嬉々として口にしないでほしい。

それは他人の欲望のことだ。