欲望について

欲望の機能2023

自分が本当は何を望んでいて、どっちの方向にいきたいのか教えてくれる機能を、人間はちゃんと持っている。それは広い意味での「欲望」と呼ばれる。

ものごとを過度にプランするべきでないのは、欲望に対して目が曇るからだ。

すごく単純な例でいえば、どんなに理想的な条件(スペック)を備えた相手が現れたとしても、その人に触れたり触れられたくないとしたら、人生を共にすることはできない。

相手の振る舞い、声、匂い、言葉の選び方、食べ方、仕草、表情に違和感があったら、人生を共にすることはできない(そういうものがどれだけ重要かは、他人と暮らしたことがある人ならわかるはずだ)。

そこで過度にプランしようとすると(ロジカルな判断を優先すると、あるいは「言葉で説明できる」ことを優先すると)、たぶんあまりいい結果にはならない。だからこそ、すべての基準になる「欲望」が健全であることは重要だ。

『Piece shake Love』より、一部修正)

欲望の再確認

欲望を確認するもっとも優れた方法は、もちろんフリーライティングだ。

時間を決めて、頭に浮かぶことをただ書く。言葉を選んだり修正したりしない。ただ書く。自分は何が欲しいのか。本当はどうありたいのか。

書いてみると、いろいろ気づくこと、思い出すことがある、と思う。それは自分の欲望を再確認することだ。

欲望が再確認できれば──「本当はどうありたいのか」納得できる形で書ければ──個人的問題の8割くらいは解決してしまうと個人的には思っている。

残りの2割こそが、本当の問題だ。

欲望の定義

欲望という言葉を聞いてぼくがイメージするものは、多くの人がイメージするそれとはずいぶん異なっているようだ。「欲望」と言った瞬間に眉をひそめる人がけっこういるから。

手元の辞書によれば、欲望とは「ほしいと思う心。不足を満たそうと強く求める気持ち」だ。

別の言葉を使うべき、と言われることもあるけれど、ぼくはそうは思わない。

道具と環境

欲望を確認するための(つまり書くための)道具と環境を持っていることは、長い時間の中では大きな違いになる、と思う。

昔なら「日記」がその役割を果たすことが多かったと思う。日記は今でも有効だけれど、周知の通り継続にハードルがある。

今なら、さまざまな形で欲望を「表現」として提示することができる。それは継続のためのモチベーションになるだろう。

礼儀

書かれた欲望はそのまま表に出すものではない。それは礼儀(politeness)の問題だ。でも、欲望を他人に見せられる形に加工・抽出したものは、しばしば独特の迫力を持つ。

旧WordPieceはギリギリ礼儀の範囲内に収めていたつもりだったけれど、今見ると若干ラインを超えていたかもしれない。

あるいは、そう感じるのは年を取ったからかもしれない。