焦がれたものリスト

自分がどんな欲望を持っているか確かめるために「好きなもの」とか「欲しいもの」についてフリーライティングしてみるということを年末年始の習慣にしている。

で、今年は一歩進めて単に「好きなもの」「欲しいもの」ではなく、「焦がれたもの」を書き出してみた。生きてきた中で、寝ても覚めてもそのことが頭から離れないくらい強く魅かれたモノたち。ここでいう「モノ」は広い意味で捉える。たとえばサービスでもいいし、ソフトウェアでもいいし、概念でもいい。

極めてプライベートなものが含まれるので全体を公開することはしないけれど、たとえばコンパクト型のMac、NeXTCube、マンダラート手帳、BART(サンフランシスコ湾岸高速鉄道。世界でいちばん美しい鉄道だと思っていた。今は汚れちゃったけど)、初期のMac版Word、東急電鉄、ある種の規格化された住宅……などが含まれる。

こうして自分の「焦がれたもの」をみてくると、ほとんどすべてが20代以前に出会ったものだということに気づく。つまり、ここ20年くらいの自分は何かに焦がれるほど魅かれてはいない、ということ。

30代以降、好きなモノや良いと思ったモノはたくさんあったけれど、「焦がれた」モノはなかった。これはけっこう大きな発見だった。今でもぼくはかつて焦がれたモノたちへの気持ちに駆動されて生きているようなところがある。まあ、それが年を取るということなのかもしれない。

もうひとつ気づくのは、自分は個人的で自己完結したモノに強く魅かれるということ。BARTは「鉄道」なので一見すると「個人的」ではないようにも見えるけれど、ぼくにとっては公共交通は個人性・匿名性の象徴のようなものだ。

あ、あと「黒か白か銀色で四角いモノ」に魅かれる傾向も明らかですね。

そんなわけで、「夜も眠れないくらい焦がれたもの」を書き出してみるといろいろ発見がある。