社長が消えた朝

昔勤めていた会社は大和ビル(仮名)という小さなビルに入っていた。

いわゆる「オフィスビル」と言って多くの人が想像するようなものではなく、最上階に大家さんが住んでいるようなタイプのビル。土地勘がある人なら雰囲気は想像がつくと思う。あのあたりには同じようなビルがたくさんあった。

メンバーは社長、先輩、ぼくの3人だけ。加えてフリーランスの人が数人(そのうちのひとりは、かつて安田講堂で社長といっしょに逮捕された仲らしい)。それから女性のアルバイト(社長の姪っ子。ギャル)。

長い社名からも出入りしている人間からも、いったい何をしている会社なのか周囲の人にはまったくわからなかったと思う。70年代のドラマに出てくる冴えない探偵事務所ってこんな感じだったかもしれない。

大和ビル(仮名)には他にも何をしているのかよくわからない小さな会社がいくつか入っていたが、同じフロアの「スカイなんとか」という会社もそのひとつだった。「航空関連のベンチャー企業」ということだったが詳細は不明。40代前半と思われる社長の男性と、20代と思われる若い男女数人が出入りしていた。

社長を初めとして全員がきちんとスーツを着ていて、朝顔を合わせると「おはようございます」と挨拶してくれた。(目つきが悪いか愛想が悪いかその両方の)我が社とはぜんぜん違う。何かの折にちらっと見える事務所のインテリアは現代的で垢抜けていた。

聞くところによれば、スカイなんとかが大和ビル(仮名)に入っているのは一時的なことで、間もなく一等地のもっと大きなオフィスに引っ越す予定ということだった。

スカイなんとかの人々とはじめてちゃんと会話したのは、ある寒い冬の朝のことだった。

コーヒーを飲みながら打ち合わせしているとノックの音がした。ドアを開けると、スカイなんとかの若い男性社員と女性社員が途方に暮れたような顔で立っていた。

「あのう、うちの社長知りませんか?」と彼らは言った。

「と言うと?」

「今朝来てみたら……」

そう言われて隣の事務所の中を見てみると、コピー機と大きな観葉植物の鉢だけを残してもぬけの殻になっていた。机も電話もパソコンもキャビネットも応接テーブルもコーヒーメーカーもなく、観葉植物だけ(後でよく見たら床に電話機が一台転がっていた)。

「昨日の午前中までは普段どおりだったんです」と彼らは言った。「午後は二人で営業に行き、そのまま直帰しました。それで朝出社してみたら……」

そこにスカイなんとかのもう一人の社員が出社してきた。「あ、おはようございます……みなさんどうしたんですか?」

「とりあえずコーヒーでもどう?」と(我が社の方の)社長が言った。