「本物」の見本、あるいは現実の作業の規模の大きさと複雑さ

もしぼくがアウトライナーの使い方が知りたくて解説本を手に取った初心者だとしたら、いちばん見たいと思うのは「本物」の見本だと思う。

ここでいう「本物」とは「見本のために作った見本ではない」ということ。「現実に使われているアウトライン」と言い換えてもいい。

30年前にアウトライナーについて調べ回っていたとき(当時はネットなんかなかったから書店や図書館で調べるのだ)、いちばん欲しかったのがそれだった。本物の見本。現実の作業の本物のアウトライン。

アウトライナーに限らず、ツールやノウハウを解説するときの見本や事例には「本物」を使わないとイメージできない部分がある。

読者は見本を参考に自分の現実の作業に当てはめようとする。ところが、現実の作業は見本よりもはるかに規模が大きく複雑だから、見本のようにはいかないのだ。

もちろん「本物」には偏りがあるから、基本をきちんと伝えるための「見本のための見本」は不可欠だ。でも、ツールや手法の基本を超えた勘所みたいなものをつかむには、他人の現実の作業を見本に、自分の現実の作業に応用してみるしかない部分がある。

これはアウトライナーに限った話ではなく、たとえばプログラミングなどでも同じではないかと想像する。本に載っている見本のコードをマスターしても、現実の仕事の複雑さ(単に機能や用件が複雑というだけでなく、現実故の必要悪的な複雑さも含む)に対応するためには別の何かが必要なのではないか。

実際には、現実の作業の様子を見本として見せることは簡単ではない。

自分だって、たとえば実際にどこかの会社から請け負った仕事のアウトラインをそのまま見せるわけにはいかない。見せるとすれば大量の伏せ字やモザイクが入った状態ということになって興ざめだし、そもそも見本の役割を果たさないだろう。

これからアウトライナーを本格的に使ってみようという人が「本物」のアウトラインを目にする機会は、実はほとんどないのだ。だからこそ実際の見本が見られる機会は貴重だ。

手前味噌になるけれど、『書くためのアウトライン・プロセッシング』で同書自体のアウトラインを例に解説しているのは、そういう意図がある。今まさに読んでいる原稿がどのようにでき上がったのかを見たい、というのが昔からの願望だったのだ(それに実際問題として、充分に複雑で規模が大きなアウトラインで全面的に公開可能なものというと、「自分が書いた本」以外にあまり思いつかない)。

ぼくがアウトライナーにはまるきっかけになった奥出直人さんの『思考のエンジン』は、実際の論文の執筆過程のアウトラインを見せてくれているという点で例外的な本だった(その部分がなければ、奥出さんが言っていることをうまく理解できなかったかもしれない)。

最近だと千葉雅也さんが『メイキング・オブ・勉強の哲学』『勉強の哲学』の実際のアウトラインや手書きメモを公開しつつ、執筆と思考の過程を見せてくれている(しかも解説つきだ)。

倉下忠憲さんはメルマガ「Weekly R-Style Magazine」の2022年1月2日号『すべてはノートからはじまる』の「プロトタイプ稿」の一部を公開している。

こういうのはとてもうれしいし、貴重だ。