散歩の途中、昭和の風情の残る商店街から脇に入った路地で、とてもひさしぶりに「立ち小便」というものを見かけた。
二人連れのおじさんが、仲良く並んで。
すぐそばにはコンビニもあるし(そこにはトイレがある)、ミスタードーナツもあるし(そこにはトイレがある)、小さいけれど駅もある(そこにはトイレがある)。
二人の風情には「どうしようもなく」「やむにやまれず」という切迫感も感じられない。むしろのんびりと平和に、商店街を大音量で流れるお正月BGMの琴の音色をバックに、談笑さえしている。
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子どもの頃、周囲の大人の男たちは当然のようにそれをした。そしてお前もしろとぼくにせまった。昭和の日本は、ずいぶんと野蛮だったのだ。
ぼくはそれをしなかった。だからその辺で立って待っていた。何ら恥ずべきところはない。
ないけれども、男たちのそれが終わるのを、ひとりぽつんと待っているときの心持ちは、自分は男として相応しい振る舞いができない人間なのだという淡い劣等感とともに記憶されている。
※2018年1月にNoteに公開した記事を微修正したものです。前回の記事を書きながら思い出した。